なりたいものになろうするなら、まずは親近感!
さて、この記事では願望達成や引き寄せの法則に使える基本的な考え方についてご説明したいと思います。
まず、この基本的な記事でも書きました通り、何かを引き寄せる、あるいは何かを達成する、現実化させるためにはその人のセルフイメージが関係している、ということでしたね。
さらに付け加えるなら、物事を引き寄せるスピードを高めるのは、それに対する「親近感」である、ということです。
例えば、一般的に「憧れる」人、「憧れる」生き方、「憧れる」仕事、というものがあったとしましょう。
それに対する潜在的なセルフイメージが近ければ近いほど、許可できればできるほど、親近感を抱くことになります。
逆に、セルフイメージがそれに対して近くなければないほど、許可できないため親近感を感じません。
つまり、対象に対して親近感をいだけるかどうか?がとても重要になります。
親近感、とは?
そもそも親近感とは何か?一般的な辞書で調べてみました。
親近感とは、自分と似た境遇・状態の相手や共通の趣味・主義主張などを持つ他者に対し、実際にはその他者と血縁や「近くに住んでいる。よく一緒に出かける」など身近な関係でなくてもその相手が自分と身近な存在であると認識・錯覚する。
Wikipediaより
いつも接しているかのような雰囲気があり心許せるといった印象や雰囲気を指す表現。親しみを抱くことができる感じ。
weblio辞書より
こうしてみると、親近感とは「自分とにている」「心ゆるせる」「関係がある」というような印象、雰囲気を感じるときに使う表現のようです。
思い描く未来に対しても同じです。それに対する親近感が強ければ強いほど、その未来には心許せ、自分には関係があると思えます。
しかし、親近感が抱けない未来に対しては、いくら憧れがあったとしても近づこうとはしません。逆にできるだけ遠いところにおいておこう、と無意識に遠ざけます。
なぜ、現実化しない未来があるのか?
引き寄せの法則などを研究していて、確実に現実化するものとそうでないものがあることに疑問を感じていました。
結果的にわかったこと、それは「どんなにがんばっても現実化しない未来(現実化させたくない未来)」というのが存在するということです。
例えば、わたしにはある憧れの人がいます。その人に対して強い憧れと行為を持っており、その人の活動を見ているだけでうっとりしてしまいます。
しかし、会いたいか、と言われれば不思議なのですが会いたいとは思いません。また、会うことは良いとして、その人と親しくなったり、近づいたり、ものすごく仲良くなったりしたいと、不思議と思わないのです。
その人はわたしにとって、心の中にいる「憧れを抱き続けることによって力をもらえる」人。つまり、親しくなってしまいその人を自分と近すぎるところに置いておきたくないのです。
これはわたしだけなのかもしれませんが、きっとみなさんの中にもそういう人がいるはずです。
憧れの存在でい続けて欲しい。できればリアルな姿ではなく、自分に希望と勇気をあたえてくれる、存在でいて欲しい。
だからこそ、生々しいその人の姿や、本来の姿、などは見たくありません。ある種の「アイドル扱い」のようなものでしょう。
しかし、この人に抱く「憧れ」とはまったく違う「憧れ」も存在します。それは、とことん近づいて仲良くなって親しい関係になりたい、と思うような人です。
もはやそれは「憧れ」とは言わないのかもしれませんね。
未来に対する願望もこれと同じです。憧れているのだけど、実はそれに対して親近感は持っておらず、できればずっとそのままでいてほしい。
そのような未来もわたしたちは持っているのです。
いくらそれを現実化させようとしても、心がその現実と親しくなるのを拒むため、一向にお近づきにはなれません。しかし、それを望んでいたりもするのです。
わたしたちがこのようにして「あえて達成する気もなければ現実化させたいとも思っていない未来」を願望にしてしまうのには理由があります。
それは、「現実化しない未来があることで、自分に何かしらメリットがあるから」です。また「その現実化しない未来が現実化しないことで、希望や勇気やパワーをもらっている」
つまり、「ただの起爆剤」だったり「きっかけ」だったり、「エネルギー源」だったり、するのです。
親近感を抱けない未来は、とっとと手放す
このような法則にのっとって考えた時、親近感が抱けないのに達成したいと思っている未来があったら、それは手放してOKなものです。
もちろん、叶えられないから諦めろ、ということではなく、叶えたいと潜在意識は思っていないから、しがみつく必要はない、ということ。
時期とタイミングがきたら親近感が湧くようになることもあります。ずっと湧かずにいることもあります。
しかし、自分がしがみついていても苦しい願望というのは、多くの場合ただの憧れであることが多く、ただの「希望」でしかない。
それをそのように活かせばいいのですが、一向に現実化しないことに嘆く必要はないということです。
わたしはよく、願望を整理しましょう、と伝えています。別の表現でいうなら、それは「願捨離(がんしゃり)」です。
お部屋の中を整理整頓し、いらないものは捨て、いるものは残す、という作業のように、定期的に自分の願い、抱いている未来に対しても行います。
こうやって願捨離(がんしゃり)するたびに、自分のことを見つめ返すことになる。望んでいないのにやってしまっていることや、無駄なエネルギーに気づきます。
抱いてはいけない願望があるわけではありません。しかし、自分を幸せに導く願望と、そうではなく苦しめる願望と、二つあるということなのです。
時たま整理して、自分を見つめ直すことによって余計な荷物が減り、心にスペースができる。
そのスペースが、現実的な余裕と、心の軽さを生むのです。